龍 野 |
龍野のまちあるき
脇坂氏五万三千石の城下町だった龍野は、揖保川中流域の右岸で、的場山、鶏龍山、白鷺山の三山に挟まれたとても狭い場所にあります。 |
![]() ![]() 左:かつての武家屋敷地区にある旧藩主 脇坂氏屋敷 右:横町にある醤油蔵 |
地形図にでみる 100年前の龍野 現在の地形図と100年前(明治28年)の地形図を見比べてみます。 明治28年の地形図をみると、龍野の旧城下町が、山と川に挟まれたなんとも窮屈な場所にあることがわかります。 姫路から新見(岡山県)に通じ、昭和6年に開設された姫新線(きしんせん)本竜野駅は田んぼの真ん中に造られ、現在の本竜野駅周辺の中心市街地は、当時は一面の水田でした。 ※10秒毎に画像が遷移します。 |
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龍野の歴史
龍野は、西播磨山地の一角をなす的場山の麓にあり揖保川の左岸に成立した町であり、その北側にシンボリックにそびえる鶏龍山は、室町期に赤松村秀が城を構えていたため、城山の名で呼ばれてきました。 |
龍野の立地条件と町の構造 揖保川は、鳥取県境に近い藤無山(標高1139m)を源として南流し、姫路市網干区において播磨灘に注ぐ河川で、「播磨五川」のうち加古川に次ぐ流域面積をもっています。 その揖保川の中流域の右岸にあり、的場山の麓、鶏龍山、白鷺山の間に箱庭のように龍野城下町は立地しています。 揖保川は外堀としての役割をもち、城下町は川を越えて拡大することはありませんでしたが、昭和3年に姫新線が開通し 左岸1kmの場所に本竜野駅が開設されると、市街地は揖保川を越えて大きく東に展開します。 一方で、旧城下町は揖保川の右岸で、市街化の波に晒されることもなく、また戦災にあうこともなく、城下町の名残を色濃く残したまま今の時を迎えます。 本竜野駅の場所が、遠すぎず、近すぎず、適度な距離感を保ったことが城下町龍野の保存に大きく寄与してきました。 本竜野駅から西に約1km、緩やかなカーブを描いて南流する揖保川を渡ると、かつての城下町に入ります。
石積の土留めに白漆喰壁と瓦屋根の土塀が数多く目に付きます。いずれも綺麗に復元されていて、学校や官公庁だけでなく、一般民家も白壁の土塀で囲まれて、かつての城下町の町並み形成に一役かっています。
町割は、基本的に揖保川の河川軸に沿ってなされていますが、街道は城下町背後の山への眺望を重視しているようにみえます。 揖保川の左岸を川沿いに出雲街道が通っていましたが、旧城下町の中で徐々に大手付近に引き込まれ、町の中心部で大きく屈曲しています。 南の赤穂・相生方面から城下町を訪れた旅人は、立町に入ったところで白鷺山をアイストップとして見ることとなり、一方で、北の作用・新宮方面から横町に入った旅人は、鶏龍山と龍野城本丸(現 地方裁判所)を見ることとなります。
江戸初期の城下町形成時において、この町割り(街路計画)が計画的になされたものなのか、偶然の産物なのか分かりませんが、人の視線を意識した道路計画が龍野城下町の骨格となっています。 旧武家屋敷には、石積み土留め、白漆喰壁に瓦屋根の土塀が数多く保存復元されていて、かつての城下町の風景が再生されています。
龍野城本丸は鶏龍山の南麓にあります。 脇坂氏入封の頃から天守は造られず、政庁でもあり藩主の居館でもあった御殿がそこにあったことが絵図から知られています。 現在の御殿は、石垣や城壁、隅櫓や埋門などとともに、昭和50年以降に再建されたものですが、山間の閑静な山間のなかにあって、数百年前からそこにあるように佇んでいます。
町屋地区は城下町の川沿いに展開していますが、なかでも、上河原町や下河原町には中二階の平入り町屋が数多く残されています。 煙り出しのある町屋、縦目板張りの商家、土蔵造りの商家など様々な建物が軒を並べ、いずれも間口がとても広いのが特徴です。
横町の「うすくち龍野醤油資料館」の周辺には、一階下が板張り上側と二階が漆喰塗りこめの建物が多くあり、醤油蔵や町屋がしっかりと保存されていて、きれいな町並みがみられます。 資料館はヒガシマル醤油の本社として使用されていたもので、大正期にヒガシマル醤油前身の菊一醤油本社社屋として建てられました。
また、龍野の町屋地区でとても面白いのは、町中に風変わりな建物の多いことです。 江戸初期の三階建ての土蔵、四階建ての木造家屋など他ではなかなか見られない建物があります。
小林家土蔵は日本最古の土蔵造りといわれ、二階板壁の墨書きから江戸初期の建築であることが確認できるようです。土蔵造りが一般的となる以前のもので、平入りの一部三階建てはとても珍しいものです。 | |
歴史コラム
淡口醤油
一般的に、「醤油」といえば関東地方で発達した濃口醤油のことをいいますが、京都を中心とした関西地方では淡口醤油が使われることが多かったようです。 醤油全体の約1割ほどの生産量しかありませんが、京料理などに欠かせない調味料として龍野を中心に生産されてきました。 濃口に比べると色や香りが薄いのですが、逆に塩分濃度はやや高く、薄い色が重要であることから、酸化して黒みが出たものは価値がなくなるため、濃口よりも賞味期限が短くなります。 醤油の生産地としては、キッコーマン(千葉県野田市)、ヤマサ醤油・ヒゲタ醤油(ともに千葉県銚子市)などの大手メーカーが存在する千葉県が全国の1/3を生産し、ヒガシマル醤油などのある たつの市は約15%の生産量を誇ります。 ヒガシマルの3箇所ある醤油工場はいまだに龍野にあります。 揖保川の水が淡口醤油に欠かせないことの証なのかもしれません。 |
まちあるき データ
まちあるき日 2007.5 参考資料 @「町並み細見 西日本」JTB A「日本城下町絵図集 −近畿編−」昭和礼文社 使用地図 @1/25,000 「龍野」平成12年修正 A1/20,000 「龍野」「林田」明治28年測図
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