青 森
本州最北の県庁所在地 青函連絡船のなくなった港町
青森のまちあるき
青森は弘前津軽藩の外港として開かれたのを起源とし、明治以降に本州と北海道への玄関口として発展した町です。 |
地図で見る 100年前の青森 現在の地形図と約100年前(大正元年)の地形図を見比べてみます。 青森市街地は、陸奥湾(青森湾)の南端に張り付くように、東西に大きく広がっています。 大正元年の地形図をみると、明治中期に開設された青森駅は市街地の西端にあり、江戸期から弘前藩の外港として開かれた青森の町が、すでにこれだけの大きさをもっていたことが分かります。 東から海岸沿いを東北本線が、西から奥羽本線が、あたかも、その先へ線路が繋がっているかのように、ちょうど青森港の手前で合流して行き止まっています。 そこが、かつての青函連絡船の発着場です。 青森が北海道への渡り口だったことが、この駅の配置に現れています。 大正元年と現在とを比べて、東北本線のルートが大きく違うのが目につきます。 大正元年の地形図に見られる東北本線は、現在よりはるかに海側を走り、市街地の東にある堤川とともに、あたかも市街地を包み込むようにみえます。 これが市街地の拡大を妨げてきたかのようであり、市街地の拡大が東北本線を大きく南に膨張させたようにみえます。 ※10秒毎に画像が遷移します。 |
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青森の歴史
弘前藩外港として開かれた青森 |
青森の立地条件と町の構造 本州最北に位置する青森県。奥羽山脈の北端 八甲田山系の山々が、地域を八戸を中心とする県南地方と弘前を中心とする津軽地方に分断しています。 岩木山がそびえ岩木川の潤す津軽地方は、県南地方に比べると気候もいくらか温和で、古くから稲作が行われてきました。 その中心が津軽藩の城下町 弘前でした。 そして、県南・津軽両地方の要に位置する青森は、陸奥湾に面して開けた青森平野に位置します。 東北本線・奥羽本線の東北地方を縦断する両基幹鉄道と青函連絡船の接点であり、東北本線と平行する国道4号線と東北本線と並行する国道7号線が青森県庁前で手を結ぶ交通の要所でもあります。 また、青森は豪雪の町としても知られ、2m近い積雪も過去記録されています。青森市のように豪雪地帯で人口30万人を超える都市は世界的にみても珍しく、現在、この規模の都市で降雪量は世界一といわれています。 青森の中心は青森駅から東に延びる新町通りです。 2車線の道路ですが両側には広い歩道があり、雪国仕様の頑丈はアーケードが架かり、幅2mほどの雪除けのスペースも確保されています。 明治末、現在の場所に青森駅が移されてから発展した通りですが、青森の繁華街はこの一筋に集約されているといっても過言ではありません。
青森駅は2階建ての小さな建物ですが、駅前広場は広く、それが一層寂しい雰囲気を出しています。 県庁所在都市の中央駅で、これほど人通りのないのは、宮崎駅と青森駅くらいのものかもしれません。
青森駅から10分ほど新町通りを歩いて、一本通りを海側に入った場所に善知鳥神社があります。 御由緒によると、第十九代允恭天皇の治世に創建され、大同二年(807)に坂上田村麿が再建したとされている古社ですが、允恭天皇は西暦400年位の天皇なので、1600年前という途方もない昔に創建されたことになります。 青森発祥の神社であることは間違いなく、青森駅の反対側の東側を向いているのは、かつての青森村の中心が、ここよりさらに東にあったためなのだと思います。
新町通りを挟んで南側は官庁街になっています。 県庁や県警本部、国の合同庁舎、裁判所などの建物が青い森公園を中心に整然と並び、いかにも官庁街といった雰囲気を感じさせます。 この先に柳町通りという、片側3車線に中央分離帯と広い両側歩道のついた道路が海に向かってあります。 この通りは、どの道路も立派な青森市街地にあって、一際広い道路ですが、これは昔から度々の大火に悩まされてきた港町によく見かける火除け地です。
柳町通りの先には堤防があります。 「青森ベイプロムナード」と名づけられた堤防には、釣りをする人や散歩をする人など、数多くの人達が訪れまていますが、ここから、最近の港町青森を象徴する景観を見ることができます。 それは、青森ベイブリッジ、アスパム、青い海公園、そして八甲田丸です。
かつての北海道への玄関、本州最北端の交通結節点は、大きく変貌しようとしています。 かつて、安方桟橋のあった付近が埋め立てられ、「青い海公園」の名称で湾岸の広場として整備され、昭和61年に完成したアスパム(青森県観光物産館)の三角形のフォルムが青森の新しい顔として定着しつつあります。
その向こうに見える青森ベイブリッジは、橋長は1219mのPC斜張橋で、青森港の貨物運搬の渋滞緩和を目的として建設されたものですが、アスパムと並んで三角形の連なるリズム感をつくりだしています。
青い海公園から人路橋でつながった、青森駅の先にかつての波止場が残され、青函連絡船の八甲田丸が岸壁に繋がれて博物館となっています。 昭和39年に就航した最後の青函連絡船ですが、平成2年に連絡船の記念博物館として一般公開されていますが、船尾の開口部から直接貨物車が乗り入るように敷かれたレールが残され、波をうけて船が揺れるたびに聞こえる鉄の擦れる音がノスタルジーを誘います。
青森駅前の新町通りに最近完成した再開発ビルが「フェスティバルシティ アウガ」です。 ファッション雑貨などのショップや市民図書館などの公共施設が入る複合ビルですが、このビルの見所は、地下にある鮮魚や海産物を扱う「新鮮魚市場」にあります。 100近いお店(というより屋台)が朝市のように所狭しと並び、多くの観光客が品定めをしていました。 もともと鮮魚市場あった場所が再開発されたようです。
この付近の新町1丁目には朝市形式の鮮魚市場がいくつかあります。ほとんどバラックといっていい建物内に、いくつもの店舗(屋台)が連なり威勢のいい掛け声が聞こえてきます。 新町通りから一本南側は、通称「ニコニコ通り」といわれる昔ながらの商店街で、ここには金物屋、乾物屋、履物屋などが軒を並べていますが、りんご販売を中心とする青果店が目立ちました。 鮮魚とりんごを販売する昔ながらの商店街、これが青森の原風景なのかもしれません。
青森駅近くにある郷土料理店「鱒の介」は、ガイドブックに載るほど観光客が多く訪れる店ですが、そこで食したイクラの新鮮さには驚きました。 青森港でイクラがどれほど水揚げされているのか知りませんが、この新鮮さが、いまも青森に残る「青森らしさ」なのかも知れません。 |
まちあるき データ
まちあるき日 2007.9 使用地図 @1/25,000地形図「青森東部」「青森西部」昭和62年修測 A1/25,000地形図「青森東部」「青森西部」大正1年測図
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